久し振りの本格的な雨です。やはり、少し熱があって、寝ていたのですが、雷のズドーン!で、目が覚めました。それでも、何か洗われるような雨です。こないだ、車に乗せて頂いた田んぼの持ち主の奥さんのお話や、おじさんとの連携プレーを見ていると、田んぼって、物凄い生き物なんだな、と感服します。私は、カエルで、精一杯、それ、かつ、自分で一杯一杯ですね。
私が「八重の桜」を見ないのは、山本八重子が、どんな人物だか、知っているからです。覚馬も。まるで、衣を脱ぎ捨てるように、"会津藩士"を辞めた。お前なんか、最初から、会津藩士じゃないやい。だから、お前は、信用されないんだ。勝手に、理解されないのを、周囲のせいにして、京で、悦に入ってろ、ってね。会津を見棄てた、お前は、頼母以下の(略)だ。こいつは、棄てたくせに、会津の事を恨んでいる。本当の、本物の藩士、家老は、(萱野権兵衛、他、戦死者以外、は)、第一に、山川大蔵(山川家の人々)です。主君の為には、どんなに汚い事も、しました。それこそが、藩士であり、藩士の手本の、家老の役割、【道】だからです。
明治以降も、家令として、主君第一に、松平家を支えました。弟・健次郎は、東大の初代総長です。山川家は、世界(海外・大蔵も、幕府の派遣で、幕末に欧州に行っている)、世界と主君を、同時に見ていました。行き場を失ない、通風を患った"本物のお姫さま"照姫も、最後は、山川家で、息を引き取りました。大蔵は、藩士として、家老として、軍人として、政治家として、戦い続けた人生だったけど、最後まで、自分から逃げませんでした、絶対。鋼(はがね)の鑑(かがみ)です。