ごあいさつ

東海道と申します。お店ではありません。残念ながら病気になってしまい以前のような活動はできなくなりました。横になっていることが多いです。あせらず、のんびり、今、出来ることで日常が楽しめたらいいいな、と思います。本当にささいな記事となりますが、応援していただけたら嬉しいです。ペットはヒキガエル2匹。江戸~幕末歴史が好き(会津藩)。グランパス・サポーター。(グランパスがJ1に復帰できて嬉しいです)。V6(坂本くん)がずっと好き。マンガ「ゴールデン力ムイ」にハマっています。(尾形さんが好き)。小説を書くことが新たな趣味になりました。

2013年8月17日土曜日

「八重の桜」は見ていませんが

江戸~幕末~明治の会津藩(保科~松平家)の、歴史「オタク」ですッ!話し出す(語り出す)と、止まりませんッ!。文化センターでの本格的な"連続の講義"が、行える、自信がありますッ!(笑)。名古屋からでは、遠いけれど、こちら(中仙道・木曽福島)からは、高遠が、近いので、すごく、ウズウズしています!
[家人が着ているのは、以前に、会津若松で、買った"會"Tシャツですっ!] 会津藩祖・保科正之は、当初、高遠藩主でした。会津藩主だった加藤氏が、"自分は、勇猛だった父親に比べて、大藩大名の器ではない"と、幕府・将軍家光に、お役辞退を願い出たため、副将軍的に信頼されていた、二代秀忠の唯一の隠し子である事が、公然の秘密だった・信頼も篤く、開明的で優秀な、弟の正之に、東北の監視役として、(何と言っても、伊達政宗が、まだ、生きており、全然、油断がならなかったのです)、高遠3万石から、会津28万石へ、目がくらむような、大出世となりました。そして、正之は、誠に大権現・家康の孫であり、今後も長く幕府を支える親藩である、と、天下に証明・流布されたのでした。ブラボー!(…つか、長ッ!(笑))。という訳で、正之の家臣には、養子先の保科家の者(正之に、遠慮して、西郷と改名←これが逃げた西郷頼母(家))。高遠以来の家臣、会津で新たに抱えた加藤氏の家臣など、いろいろでしたが、19号線を、走っていたり、地図を眺めて、気がついたのですが、やたらと目につく「萱野」に「権兵衛」の文字………!
これはァァァ~~~……ッ!あの、戊辰戦争の責任を取って、潔く切腹した萱野権兵衛・家老は、「高遠以来の家臣」かと~~~ッ!それは、「格が高い」わけですッ! 気がついてからは、やたらと目につく「権兵衛」の文字、トンネルやラーメン屋にまで、"萌えに、萌え"る、会津ファンなのでした。