しつこいようですが、こちらを再々掲載させていただきます。
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「ずっと悩んでいること、そして我慢がならないこと」
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いや~、昨年の「平清盛」が、大コケしたせいか、「八重の桜」の宣伝がすごいですね。
家人(いわく、綾瀬はるかではなく、貫地谷しほり目当てと主張(てゆーか、どーでもいい))に、つきあわされ、見るともなしに、CM番組を見ていて、
あの、戊辰戦争の責任を取って切腹する家老・萱野権兵衛が、柳沢慎吾、という配役を知り、石鹸に乗っかったようにすべってこけました。
なんじゃ、そりゃー!
おい、ちょっと、NHKっ!
萱野権兵衛役と、西郷頼母役は、配役間違いで、入れ替えるのが適材適所だっ。
(なんてさー、も~、どうでもいいけどー、といいつつ、また、ムラムラ、むずむずするぅ(笑))。
公用方(新設)の広沢安任(ひろさわ やすとう・富次郎)も、大好きで、ものすごく調べたので、この人がどのような扱いで出てくるのか、ちょっと楽しみです。(なんかねぇ、今までのドラマだと、出ても悪人ぽく描かれているのが、むかついて……。広沢さんのどこに、悪の因子があるんだよっ)。
秋月悌次郎(あきづき ていじろう)のように、元は低い身分の下士だったのが、勉強でのし上がった秀才だったので、登用されたのです。
(頭抜けて成績優秀なものは、江戸の昌平黌(しょうへいこう・幕府の学問所/東大みたいなもの)へ留学でき、秋月は、ちょうど、黒船来航の頃、学長をしていました)
秋月は、学者肌で、ちょっと、イヤ、かなりクセのある人物です。
(もしかしたら、学のあることを鼻にかけていたかもしれない。憶測ですが)。
政治的には、薩摩寄りで、それを嫌った慶喜の意向で、な、なんと、京から、北海道の舎利(網走の方)まで、バシルーラ!飛ばされちゃうんですよ。すごいでしょ。
(会津は、当時、京都守護職のみならず、先代の頃から、異国船に対する沿岸警備も担っていて、房総半島・三浦半島・第3台場、蝦夷地警備と、同時ではないものの、ずっと、どこか沿岸の警備していたのです。
なので、秋月は、京から当時の会津藩の警備地・蝦夷地の網走まで、”左遷”させられちゃったのです。復活(復帰)しましたけど……。……(時、すでに遅し、でした))。
ずっと、公用(方)局員だと思っていたけれど、「軍事奉行添役」とは知りませんでした。(こういうところが、学者肌なのもあって、下士のくせに、と、他の藩士に妬まれた要因なのかも)。(でも、全国から優秀な藩士が集まる昌平黌で、学長をしていたという人脈を見込まれてのこともあってだと思います)。
とはいえ、神保修理(じんぼう しゅり)と同格とは? マジで?
秋月は、下士(下級武士)だけど、神保家は「家老の家柄」ですよ(実際パパ・内蔵助は家老だし)。
といっても、通常は、若い頃から、家老ではなく、家老になれる家柄と言うのが、いくつかあって決まっていて、その中から、出世魚のごとく、役職を上って、経験をつみ、若年寄(家老見習い)とかになって、家老になるのです。(確か)。
(会津は、7家ぐらいだったかな。うち、4~5人ぐらいが常だったような。(あいまいなんで、全部は信じないでくださいッ)。まあ、戦になってからは、主だった者が次々戦死したので、本来そうではない家のものも、急遽、家老にとりたてられたりしましたが)。
あと、京都における重要藩士は、野村左兵衛殿だと思うのですが~……。いないですね。
手代木 勝任(てしろぎ かつとう・直右衛門(すぐえもん))とかも、すっごく重要なんだけど。
これから、出て来るのかなぁ。
どういう話になるのでしょうか。
梶原平馬(かじわら へいま)は、私の網にはひっかからない家老なので、どういう立ち位置なのか、興味深いです。
(梶原平馬が家老になるより先に、山川大蔵(やまかわ おおくら)のほうが先に家老になった印象が……)。(思い込みかもしれないので、信じないでくださいッ)。
山川大蔵は、ものすごい野心家で、執念深く、勝つためには無関係の子供を盾にするなど手段を選ばない人なので、この人を、中心に見るのも面白いです。
ついでに、ものすごいイケメンです。(お前は、外人かと)。
とはいえ、明治時代の”会津”、落ちぶれた会津松平家を支えたのは、山川家の努力・献身あってこそです。
そう思うと、「日本(特に、京)の未来を考えた山本家」と、「会津(松平家)を支え続けた山川家」の対比も、面白いかと思います。
八重について、書くつもりが(あったのか?)(一応)、全然、外れてゆきました。
あ、宮泉、お正月に頂きましたが、すきっと、きりっと、飲みやすく、美味しかったです♪
流石は、純米酒♪
500万石ってすごいなぁ。どこの大藩だよ(って、お米の名前ですね)。
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八重、というか、山本家について。
「砲術指南役」となっていますが、会津は、幕府の五街道からも外れた山国で、新しいものよりも、伝統的な物事を重んじる、よく言えば質実剛健、逆に言うと、閉鎖的で排他的な時代遅れの藩でした。
(人の性質といえば、頑固で一途、逆に言うと、柔軟性に欠け、臨機応変や駆け引きなどが、苦手でした。(というか、卑怯で恥とされていました))。
先に述べたとおり、沿岸警備のため砲術は必須だったのですが、
「砲術をする(異国の武器を積極的に学ぶ)山本家(覚馬)は、変わっている(白眼視)」、
「そもそも、銃は、足軽が持つもので、武士が扱うものではない」←洋式兵法導入(武具防具、何より意識改革)の遅れ
ついでに、
「他藩出身者(川崎尚之助)=得体が知れぬ者。本当は、その辺の浪人者を、他藩士と偽っているのではないか」、
「そんな怪しい他所者と、娘を結婚させるなんて(ますます、あの家はおかしい)」
というのが、周囲の本音だったと思います。
しかし、このような他国(他藩)の者に対する偏見・先入観は、会津藩に限ったことではないです。
あ、そうだ、「大蔵が八重に恋していた」という設定は、想定外で、びっくりです。が、野心家の同士の似たもの同士、ありえなくもないと、考えて、うなされそうです。